リン酸塩の枯渇による影響

サンゴを中心としたリーフタンクにおいてリン酸塩は過剰になりやすい物質です。
前回は水槽中のリン酸塩は何処から来るのかについて解説しました。

では、一方で枯渇してしまった場合の影響は何があるのでしょうか?

リーフタンクにおけるリン酸枯渇の影響は大きく分けて2つが挙げられます。

ひとつは水槽内微生物生態系の貧困化
そしてもうひとつはプランクトン豊富な中栄養海域に生息するLPSやイソギンチャクなどの短命化です。

今回はこれらの影響について触れていきます。

水槽内微生物生態系の貧困化

リン酸、というよりはリンという物質は全開の記事でも触れたように、さまざまな動植物にとって必要不可欠なものです。

代謝に必要なエネルギー源となるATPや、タンパク質の設計図であるDNAとRNA、そこから合成されるタンパク質、細胞膜に使われるリン脂質など細胞内には大量のリンが使われています。

リンは生物にとっては欠かせない存在と言えます。

生物の代謝に必要なエネルギー通貨となるATP(アデノシン三リン酸)
分子内に3リン酸と、窒素を持つアデノシンが含まれています

栄養塩を限りなく0に近い数値にすることで鑑賞面で難のある藻類の発生を抑えることもできるのですが、同時にデメリットも存在しています。

それは水槽内微生物相(生態系)の貧困化です。

リーフタンク内における生態系サイクルのイメージ
リンが枯渇すると最下層の一次生産者が減少し、水槽内生態系が貧困化しやすくなります

まず珪藻類(茶ゴケ)などの発生が減ることで、それをエサとするコペポーダなどの動物プランクトンと、バチルス菌などの糞や死骸を分解するバクテリアの多様性も下がってしまいます。

水槽内でコペポーダなどの動物プランクトンが殖えるにはある程度の微細藻類の発生が必要です

それら水槽内生態系にとって有用な動物プランクトンやバクテリアの多様性が低下することで引き起こされるのは、ダイノスやビブリオ菌といったサンゴにとって危険な微生物の増殖です。

そして総合的な栄養摂取量が低下して体力が落ちてしまったサンゴにとっては驚異的な外敵や病原菌となってしまうのです。

ダイノスの発生

ダイノスのコロニー
茶色くベッタリとした粘液状で、酸素の気泡をたくさんつけるのが特徴です

ダイノスは渦鞭毛藻という微細藻類の仲間で、この仲間には褐虫藻も含めリンが枯渇しやすい環境に適応した種類がいます。

渦鞭毛藻の仲間には、細胞膜にリン脂質ではなくDGCCというベタイン脂質を生産し代替として代謝できる機能を持っているものがいます。ダイノスもその一種となります。

つまり、リンが枯渇した貧栄養水質でも問題なく増殖が可能なのです。

リンが枯渇した環境では捕食者となる動物プランクトンと競合相手である珪藻類がいなくなってしまうことで、ダイノスにとっては増殖しやすい環境になってしまうわけです。

珪藻類と動物プランクトンによるダイノス抑制のイメージ図
これらの抑制がなくなることでダイノスが発生しやすい環境になります

余談となりますが、リン脂質の代わりに細胞膜へDGCCを使うことができるという能力はダイノスに特有のものではありません。同じ渦鞭毛藻の仲間である褐虫藻にもDGCC生産能力を持つものがいます。

そしてミドリイシやシャコガイは体内の褐虫藻が生産したDGCCをリンの代わりに使うことでリンが少ない環境にも適応可能な生態を持っています。リン酸塩が少なくミドリイシの調子が上がっている水槽でダイノスが発生しやすいのは、同じ「細胞膜にDGCCを利用できる」という代謝経路を持っているためなのです。

ビブリオ菌の増殖(RTN発症確率の増加)

典型的なビブリオ属細菌のイメージ図

ビブリオ菌は海水中に常在している細菌類で、生物の死骸を分解する重要な存在です。
しかし、驚異的な増殖スピードと有機物の分解能力を有しており、栄養不足で免疫が機能しなくなった生物を生きたまま分解し始める恐ろしい一面も持っています。※海水魚のビブリオ病とサンゴのRTN

バクテリアの多様性が保たれている水槽ではビブリオ菌以外の有機物分解菌が多数存在しており、それらのバクテリアと競合関係にあることからビブリオ菌の増殖は抑制される傾向にあります。

特にバチルス菌にはビブリオ菌を抑制する働きを持つ種類が多数確認されており、天敵といっても過言ではない存在です。そういったビブリオ菌の抑制者となるバクテリアの数が減ることで、海水魚のビブリオ病やサンゴのRTNが発症しやすい環境となってしまうのです。

このビブリオ菌が増殖しやすくなるというポイントは次のLPSやイソギンチャクの短命化にも繋がります。

LPSやイソギンチャクの短命化

リン酸塩や硝酸塩といった栄養塩が枯渇、もしくは極めて少ない観葉ではLPSやイソギンチャクは短命に終わってしまうことがあります。その理由は、前述した細胞膜に使うためのリン脂質が不足してしまうことで、これにより共肉の表皮が脆弱になってしまいます。

動物の細胞膜構造イメージ図

細胞壁に使うリン脂質が不足することで丈夫な表皮を作れなくなり、体内へビブリオ菌などの細菌類の侵入を許してしまうことになります。これによりサンゴではRTNやブラウンジェリーなど致命的な病気を発症しやすくなってしまうのです。

栄養不足により傷口の回復が出来なくなったロングテンタクルアネモネ
丈夫な表皮が作れなくなったことで、体組織が露出するようになってしまいます

また、従来言われていたハナガササンゴやアワサンゴの突然死もこの栄養不足による共肉の脆弱化が関連しています。表皮を構成するためのリン脂質や、アミノ酸、ビタミンが不足し代謝が充分に行えなくなってしまうことで免役が下がり、共肉の壊死が発生してしまうのです。

栄養不足により共肉が剥げてしまったハナガササンゴ

LPSやイソギンチャクに発生しやすい栄養不足による共肉の壊死を防ぐためには、給餌やサンゴ用栄養剤などを使用して不足している栄養を補う必要があります。

特にLPSとミドリイシを一緒に飼育するときに、水質をミドリイシ寄りの貧栄養にしていると栄養不足の症状は発生しやすいことから注意が必要です。

SPSとLPSが適応した環境の違い

では、なぜLPSやイソギンチャクにこのような症状が出てしまうのでしょうか?

それは本来の生息海域(環境)の違いにあります。

LPSは陸地から河川が流れ込むプランクトン豊富な中栄養海域に生息が多く見られ、SPSの仲間は河口から離れたサンゴ礁域に生息が多く見られます。原則的に河川の流入がある岸辺から離れるほど植物プランクトンや海藻などにより栄養塩が消費されていき、貧栄養の海域となるのです。

オーストラリア沿岸における中栄養海域と貧栄養海域のイメージ図
岸辺に近い海域(赤)はLPSが多く、離れた海域(緑)はSPSの数が多くなります。
岸辺に近い中栄養海域
LPSやソフトコーラルが多い
岸辺から離れた貧栄養海域
ミドリイシなどSPSが多い

沿岸部の中栄養海域ではプランクトンや懸濁物質といった有機物が豊富に漂っており海水の透明度は下がります。
LPSは褐虫藻による光合成の他に、豊富に浮遊するこれらのプランクトンや懸濁物質をエサとして捕食しています。そのため、ミドリイシを基準にした水槽環境ではおのずと摂取する栄養が少なくなってしまうのです。

先述した水槽内微生物相の貧困化に連なってLPSが摂取できる栄養分も減ってしまいます。

多くのLPSはプランクトンなどのエサを捕食しやすい形態をしています

一方でミドリイシが生息する貧栄養海域ではプランクトンの密度は低く透明度の高い海水となっています。
ミドリイシの仲間はこういった貧栄養環境に適応した種類が多く、リン脂質を必要としないDGCCを使った代謝経路を持っています。

しかし、リン酸塩が限りなく少ない貧栄養海域に適応してきたことから、リン酸塩が多い水質では骨格形成を阻害されてしまうといった性質も持ってしまったというわけです。
※LPSはミドリイシの仲間と比べ、リン酸塩があっても深刻な骨格形成阻害は起こりにくい面があります。

ミドリイシは貧栄養海域に適応したため、リン酸による骨格形成阻害を受けやすくなっています

では、SPSとLPSは同じ水槽で飼育できないのかというと、そんなことはありません。
ミドリイシの骨格形成阻害が最低限となる貧栄養の水質を水質を保ちつつ、LPSには給餌を行って栄養が充分に摂れるようにすることでSPSとLPSを同じ水槽で飼育することも可能なのです。

そのための目安としてはリン酸塩の数値が0にならない、ごくわずかに検出される(目安としては0.02ppm以下)程度の数値を目指しましょう。

リン酸塩が枯渇したときの対策

ここまではリン酸塩が枯渇してしまった場合の影響を解説してきました。
次は枯渇してしまったときの対策について触れます。

添加剤の使用

まず最も手軽なものでは単体の添加剤が存在します。
これは以前は見られなかったものですが、水槽内での栄養塩処理能力が高まるにつれて枯渇するまでに至る水槽が多く現れ、それによる弊害が確認されてきたことにより製品化されるに至りました。

グローテック「フォスフェイトプラス」
主成分:リン酸塩
グローテック「ナイトレイトプラス」
主成分:硝酸ナトリウム

これらの添加剤は硝酸塩とリン酸塩単体の添加剤となっていることから、硝酸塩とリン酸塩どちらかの数値が極端に低いときに使用する用途に向いています。

他の元素を過剰に増やすことなく、目的の元素をピンポイントで補充することができるのが単体元素添加剤のメリットと言えます。

給餌の回数を増やす

リン酸塩と硝酸塩を「同時に増やす」手段として最も手軽にできるのは給餌の量を増やすことです。
しかし、この方法で注意したいのはタンパク質が豊富に含まれるエサでは同時にビブリオ菌が増殖しやすくもあります。

ビブリオ菌を抑制しつつ、分解を促してリン酸塩と硝酸塩を供給したい場合にはバチルス菌を含むバクテリア剤との併用がオススメです。また、与えるエサは分解が早い顆粒状かパウダー状の人工飼料が適しています。

ジェックス「ベストバイオ」
アズー「ウルトラバイオガード」

オールドタンクシンドロームの利用

底砂を厚く敷いた水槽では、セットから時間が経過して底砂内の還元反応によりサンゴ砂が吸着したリン酸が染み出してくるオールドタンクシンドロームという現象が発生します。

これは従来は海水水槽の宿命とも呼ばれリセットが推奨される状態ではありましたが、リン酸が枯渇しやすいシステムの水槽の場合、むしろメリットとして働きます。

そのメカニズムを理解して上手くリン酸供給に活かすことができれば、オールドタンクシンドロームではなくフォスフェイトリアクターと呼べるものになるかもしれません。

リン酸塩の枯渇による影響 まとめ

従来、リン酸塩はサンゴ水槽においては非常に敵視される存在でもありました。
その理由としてはミドリイシの育成に重点を置いたシステムの場合、リン酸塩の濃度が高くなるとミドリイシの骨格形成阻害と退色が起こりやすいためです。

そしてプロテインスキマーの機能向上と嫌気ろ過の仕組みが解明されていったことで、栄養塩を0に近い数値まで落としてのサンゴ飼育も可能になりました。

しかし、それと同時に栄養塩が枯渇したことによる弊害も現れ始めたのです。
その代表が水槽内微生物相の貧困化と、その結果としてのダイノスの発生
そして栄養要求量の高いLPSの短命化です。

リンという物質自体は生物にとっては欠かすことのできない存在ですが、水中に存在する形態とその濃度によりミドリイシなど貧栄養海域に適応したサンゴにとっては成長を阻害する物質として機能するというのが実情に近いのです。

これは過去のリーフタンクがミドリイシの育成に偏重していたことで生じた誤解であると、ある意味では言えるでしょう。

実際にはサンゴの種類によっては健康を維持するのに欠かせない物質でもあります。
そしてサンゴが元々自生していた環境は一様ではなく、さまざまな環境が存在しています。

飼育するサンゴの生態を把握し、それに合わせた飼育を行うことがリーフタンクを成功させるための道筋になるかと思います。

リン酸塩枯渇で発生する問題

  • 水槽内微生物相の貧困化と、それに由来するダイノスの発生
  • LPSとイソギンチャクなど共肉の多いサンゴの短命化

リン酸塩が枯渇したときの対策

  • 専用の添加剤の使用
  • サンゴやイソギンチャクへの給餌を行う
  • オールドタンクシンドロームを利用したリン酸塩供給

硝酸塩が枯渇した場合の影響や、硝酸塩とリン酸塩が与えるバクテリアへの影響については個別で解説を予定しています。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP