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鉄とはどんな物質なのか

鉄(Fe)は地球の地殻に豊富に存在する金属元素であり、生物にとっても欠かせない物質です。酸化還元反応の触媒やDNA合成、エネルギー生成など、さまざまな生理機能に関与しています。
海水中に含まれる鉄イオンの量は海域によって大きく異なります。陸地に近い中栄養海域では比較的多く、陸地から離れた貧栄養のサンゴ礁海域では極めて少なくなります。
これは、鉄がプランクトンや細菌類を含むすべての海洋生物にとって必須の元素であり、消費量が非常に多いためです。特に、食物連鎖の基盤を担う植物プランクトンが多くの鉄を吸収し、それが上位捕食者へと受け継がれていきます。まさに、鉄は海洋生物の「血肉」となっているのです。
そして水槽内でも鉄は重要な役割を果たします。
サンゴが持つ蛍光タンパク質(主にGFP)の合成に関与するほか、脱窒菌などの嫌気性バクテリアが行う還元反応に必要な酵素の構成要素としても機能します。
それでは、リーフタンク内で鉄がどのように使われているのか、詳しく見ていきましょう。
リーフタンクにおける鉄の役割
サンゴ水槽内で鉄が果たす主な役割は、以下の5つに分類できます。
- 抗酸化酵素の合成(サンゴの代謝向上)
- タンパク質合成の促進(蛍光タンパク質の合成など)
- 藻類の光合成促進(褐虫藻の活発化)
- 硝酸還元酵素の補因子(脱窒菌の活動促進)
- リン酸塩の吸着作用
それぞれについて詳しく解説します。
抗酸化酵素の合成(サンゴの代謝向上)
鉄は酸素と反応しやすいため、酸化・還元の両面で重要な役割を担います。
特に、細胞内で活性酸素を除去する抗酸化酵素の補因子として機能します。
代表的な鉄含有抗酸化酵素には、カタラーゼ、ペルオキシダーゼ(Prx)、グルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)などがあります。これらは、ミトコンドリアを中心とした細胞の正常な働きを支えています。

好気性代謝では、その副産物として細胞にダメージを与える活性酸素種(ROS)が発生します。
これをマンガンを補因子とするMnSODが過酸化水素(H₂O₂)に変換し、鉄を補因子とするPrxやGPxが無害な水(H₂O)へと分解します。
この仕組みにより、酸化ストレスが軽減され、サンゴのATP代謝が滞りなく行われることを助けます。
結果として、サンゴの健康状態が向上します。
これらの仕組みは非常に複雑で、全てを簡潔に説明することは難しいのですが、ひとまずは鉄を材料としてさまざまな抗酸化酵素が合成されることになるということを憶えておきましょう。
●関連項目
タンパク質合成の促進(蛍光タンパク質の合成など)
鉄は、さまざまなタンパク質の合成に関与する重要な物質です。
体内に取り込まれると「ヘム」という構造に変化し、そこから多様なタンパク質が合成されます。

たとえば、脊椎動物では赤血球に含まれるヘモグロビンがその代表例です。
ヘムBとグロビンというタンパク質が結合してヘモグロビンが形成され、酸素の運搬能力が向上します。
サンゴにおいても、ヘムを原料とした以下のようなタンパク質が代謝や成長に関与しています:
- シトクロムc:電子伝達系に関与
- カタラーゼ・ペルオキシダーゼ:ROSの分解
- 硝酸還元酵素:窒素同化
- グアニル酸シクラーゼ:細胞内シグナル伝達
これらのタンパク質の合成が促進されることで、蛍光タンパク質(FP)や色素タンパク質(CP)の生成も活発になり、サンゴの色揚げに繋がります。
●関連項目
藻類の光合成促進(褐虫藻の活発化)
鉄は抗酸化酵素やタンパク質の合成にも大きく関わることから、藻類の成長にも重要な役割を果たします。
抗酸化酵素の合成に加え、光合成の電子伝達系(チラコイド膜)に関与するフェレドキシン、シトクロムf、鉄硫黄クラスター(Fe-Sクラスター:Fx、FA、FA)などの構成要素としても機能します。

※黒字:鉄が使われるタンパク質
また、鉄は光合成色素であるクロロフィルの合成にも関与しています。
鉄自体がクロロフィルの直接的な材料になるわけではありませんが、合成経路の中で鉄を含む酵素やタンパク質が複雑に関与し、クロロフィルの生成を支えています。

ヘムBとクロロフィルIIBは、合成経路の途中まで共通しています
このように、鉄は藻類や植物の光合成に関わる器官やその仕組みに深く関与しており、光合成の効率や安定性を左右する重要な元素です。
鉄が安定的に供給されることで、褐虫藻の光合成も活発になり、それによってサンゴへ供給される栄養の量も増加します。結果として、サンゴの代謝が促進され、成長や色揚げといった目に見える形での改善が期待できるようになるのです。
脱窒菌の活動促進(硝酸還元酵素の補因子)
鉄は、硝酸イオンを還元する酵素「硝酸還元酵素」の補因子としても重要です。
酸素との反応性が高い鉄を含む酵素が、硝酸から酸素原子を引き剝がす反応を助けます。

この酵素が機能することで、硝酸塩が窒素へと還元されます。鉄が不足すると、この脱窒反応がうまく進まず、硝酸塩が蓄積する原因となることもあります。
嫌気層を作り、炭素源を添加しているにもかかわらず硝酸塩が減らない場合は、鉄の不足が原因かもしれません。そのようなときは、鉄を含む微量元素添加剤の使用が効果的です。
●関連項目
リン酸塩の吸着作用
鉄イオンはリン酸と反応して水に溶けにくいリン酸鉄を形成し、水中のリン酸塩濃度を低下させます。
しかし、沈殿したリン酸鉄が底砂に沈み、嫌気層に達すると還元反応によって分解され、リン酸イオンと鉄イオンが再び水中に放出されることがあります。
底砂にリン酸鉄が過剰に蓄積すると、オールドタンクシンドロームを引き起こす可能性があるため注意が必要です。

そのため、リン酸吸着を目的として鉄添加剤を使用する場合は、プロテインスキマーの吸水口付近に添加し、生成されたリン酸鉄の粒子をスキマーで効率よく除去できるよう工夫することが重要です。
一方、リン酸塩濃度が高すぎる水槽では、鉄添加剤を使用しても十分な効果が得られにくい場合があります。効果を最大限に発揮させるには、リン酸塩濃度を適度に下げておくことが重要です。
鉄添加剤の効果が感じられない場合は、リン酸塩濃度を測定してみることをおすすめします。
※同じ鉄でも、添加剤に「キレート鉄(クエン酸第一鉄ナトリウムなど)」と表記されているものは、リン酸と反応しにくく、生体に吸収されやすい形となっているため、リン酸鉄として沈殿しにくい傾向があります。
逆にリン酸を吸着させたい場合には、キレートされていない鉄イオン単体Fe₂⁺が含まれる添加剤が適しています。
●関連項目
鉄によるサンゴへの影響
ここでは、鉄を添加することで得られるメリット、そして過剰や欠乏による影響について詳しく見ていきましょう。
鉄添加のメリット
鉄を適切に添加することで、以下のような効果が期待されます。
- 褐虫藻・海藻の光合成活性の向上による成長促進
- サンゴの蛍光色(特に緑色蛍光タンパク質=GFP)の強化
- 酸化ストレスへの耐性向上
- 脱窒・脱リンなどの嫌気性バクテリアの活動促進
- リン酸塩の吸着(リン酸鉄として沈殿)
鉄を添加することで、サンゴや海藻の代謝が活性化し、成長の促進や色彩の向上といった、目に見える形での変化が現れやすくなります。特に褐虫藻や海藻の光合成能力が高まることで、栄養の吸収効率が向上し、全体的な成長スピードが上がりやすくなります。
また、鉄は蛍光タンパク質の合成にも関与しているため、サンゴの色合い、特に緑や黄色の発色が鮮やかになる傾向があります。さらに、抗酸化酵素の補因子として働くことで、サンゴが酸化ストレスに対して強くなり、健康状態の維持にも寄与します。

加えて、鉄は脱窒や脱リンといった水質浄化に関わる嫌気性バクテリアの酵素にも必要不可欠な元素であり、これらの微生物の活動を促進することで、水槽内の栄養塩バランスの安定にも貢献します。
欠乏による影響
鉄が不足すると、サンゴの代謝機能が低下し、以下のような症状が現れることがあります。
- 褐虫藻・海藻の光合成低下による成長停滞
- 蛍光タンパク質の合成量低下
- サンゴの代謝低下に伴うポリプの展開不良(特にLPS種)
- 脱窒・脱リン停滞による栄養塩(NO₃⁻、PO₄³⁻)の蓄積
鉄は、サンゴ自身や褐虫藻、さらには水槽内のバクテリアによって常に消費されているため、非常に欠乏しやすい元素です。そのため、サンゴの状態をよく観察しながら、必要に応じて適切に補充することが重要です。
鉄が不足すると、サンゴや海藻の成長が停滞するだけでなく、バクテリアの代謝も低下しやすくなります。
これにより、脱窒や脱リンといった水質浄化に関わる微生物の働きが鈍り、結果として水槽内の微生物バランスが崩れてしまうことがあります。こうした変化は、水質の悪化や環境の不安定化につながるため注意が必要です。
特に、使用している機材や基本的な水質項目(水温、比重、pH、KH、Ca、Mg)に問題が見られないにもかかわらず、硝酸塩やリン酸塩の数値がなかなか下がらずにサンゴの調子も今ひとつ上がらないという場合には、鉄をはじめとしたサンゴにとっての中量要素(鉄、ヨウ素、カリウム、ストロンチウム、マンガンなど)の不足が疑われます。
こうした元素は目に見えにくいながらも、サンゴの代謝や水槽内の生態系に深く関わっているため、定期的な補充とバランスの管理が求められます。
過剰による影響
一方で、鉄を過剰に添加すると以下のような問題が発生する可能性があります。
- 藻類(特にシアノバクテリアや珪藻類)の異常増殖
- 酸化鉄由来の活性酸素種(ROS)の増加による酸化ストレスの増大
- 鉄由来の色素沈着によってサンゴの色が悪化(暗班などの発生)
- 微生物バランスの崩壊による水質の悪化
- 底砂にリン酸が蓄積してしまう(沈殿したリン酸鉄による蓄積)
鉄は抗酸化酵素の合成に関与する重要な元素ですが、生物の体内に過剰量が存在すると逆に活性酸素種(ROS)の発生量が増え、体組織にダメージを与える酸化ストレスが高まることが知られています。
また、鉄由来の色素がサンゴの体内に沈着することで、暗斑が生じたり、色が暗く濁ってしまうこともあります。
さらに、藻類の異常繁殖によって水槽内の景観が損なわれ、微生物のバランスが崩れることで水質が悪化する可能性もあります。

鉄はサンゴやバクテリアも活性させる元素ですが、同時に望まない藻類も活性化させてしまうことがありますので、使用する場面はしっかりと吟味するようにしましょう。
既にシオミドロやハネモ、バロニアなどが生えている水槽では、これらの海藻を活発化させてしまうこともありますので、藻食の
どんなに効果的な添加剤であっても、過剰添加は逆効果となることがあります。
必ず製品ごとの規定量を厳守し、サンゴや水槽の状態をよく観察しながら使用しましょう。
鉄イオンを含む添加剤
一般的な人工海水を使用していても、こまめな換水を行っていれば、ほとんどの微量元素は枯渇させることなく維持することが可能です。
しかし、収容しているサンゴの数が増えたり、個体のサイズが大きくなるにつれて、鉄をはじめとする「サンゴにとっての中量要素」に該当する微量元素の消費量は増加します。
中量要素として重要な元素には、鉄、ヨウ素、カリウム、ストロンチウム、マンガンなどが挙げられます。
なかでも鉄は特に消費量が多く、サンゴの成長だけでなく、水槽内のバクテリアの活動にも深く関与する重要な元素です。
これらの元素が不足すると、サンゴの成長が鈍化したり、水槽環境のバランスが崩れる可能性があります。
そのため、サンゴや水槽内の状態をよく観察しながら、必要に応じて適切な量の添加を行いましょう。
鉄イオンを含む複合元素の添加剤 |
鉄イオンを含む添加剤の中には、鉄に加えて関連する微量元素も同時に配合された複合タイプの製品があります。
これらは、鉄イオン単体だけではなく、マンガンやヨウ素など、サンゴの代謝や色揚げに関与する複数の元素を一括で補える製品もあるため(配合元素は製品により異なります)、効率的な栄養管理が可能です。特に、収容しているサンゴの数が多く、微量元素の消費量が激しい水槽では、このタイプの添加剤が非常に使いやすく、コストパフォーマンスにも優れているという利点があります。

成分 | Fe・Mn・Co・Cu・Al・Zn・Cr・Ni |

成分 | 炭酸塩・Fe・I・Ca |
※成分表記はメーカー公表のものとなります

成分 | Mg・Fe・Cr・Ni・Co・Znなど |

成分 | Fe・Mn・Br・K・Ni・Co・Zn・Al |
※成分表記はメーカー公表のものとなります
鉄イオン単体の添加剤 |
鉄イオンのみをピンポイントで添加したい場合には、鉄単体の添加剤を使用するのがおすすめです。
このタイプの添加剤は、鉄の濃度を細かく管理したい水槽や、すでに他の微量元素添加剤を使用している環境において、鉄のみを重点的に補いたい場合に便利です。
また、鉄単体の添加剤ではキレートされた2価鉄を主成分としている製品が見られます。
キレート鉄はリン酸と反応しにくく、生体に吸収されやすいという特徴があるため、リン酸塩の数値が高い水槽でもサンゴや海藻へ鉄をしっかり吸収させることができます。
キレート鉄には、クエン酸鉄やフルボ酸鉄、EDTA鉄などがあります。

成分 | フェレデタートナトリウム (クエン酸第一鉄ナトリウム) |

成分 | 2価鉄 (キレート鉄) |
※成分表記はメーカー公表のものとなります
リーフタンクにおける鉄の役割 まとめ
鉄は、リーフタンク内でサンゴの成長や色揚げに欠かせない重要な元素です。
適切な鉄濃度を維持することで、サンゴの代謝が活性化し、健康状態の改善や美しい色彩の維持が期待できます。
ただし、鉄の過剰摂取は藻類の繁殖や酸化ストレスの増加、微生物バランスの崩壊などを引き起こす可能性があるため、適切な添加量の管理が何よりも重要です。
鉄は、サンゴや海藻の成長促進など目に見える効果が得られやすい元素であるため、つい多めに添加したくなる気持ちになるかもしれません。しかし、そこはぐっとこらえて、サンゴがじっくりと時間をかけて育っていくのを見守る余裕こそが、鉄添加剤を上手に使いこなすための最大のコツです。
水槽内のバランスを保ちながら、サンゴの自然な美しさを引き出すためにも、慎重で丁寧な管理を心がけましょう。
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